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適正技術とは

シュマッハーの中間技術の概念

 適正技術の概念はシュマッハーによって先駆的に打ち出された中間技術の概念が発端であると言われています。しかし、1973年に発表されたシュマッハー著の『スモール イズ ビューティフル』を解読していくと、すでにシュマッハーが中間技術という用語法自体にゆらぎがあることに気づきます。

 『スモール イズ ビューティフル』の中には、以下のように途上国の発展のために必要な技術として中間技術を定義する部分があります。

「もし、技術のレベルというものを『その設備が生み出す雇用機会あたりの設備費』ということを基準にして考えるならば、典型的な途上国の土着の技術はいわば1ポンド技術であり、一方先進国の技術は1000ポンド技術といえる・・・・援助をもっとも必要とする人々に効果的な手助けをするためには、1ポンドと1000ポンドの中間に位置する技術が必要である。われわれは、それを象徴的に100ポンド技術と呼ぼう。」
 この定義は、途上国の発展をもたらすためには、とりわけ、より多くの民衆の雇用を生み出すためには、どのような技術が必要かという問題意識のもとで打ち出されています。先進国の1000ポンドの技術は巨額の資金を要するのに雇用を生み出さないばかりか逆に伝統社会を破壊して仕事を奪う、途上国の土着の技術では金はかからないが豊さはもたらさない。だから必要とされるのはその中間の100ポンド技術である、というわけです。

 しかし、その一方で同著のもっと後の年代に書かれたと見られる章には、別の観点から中間技術が定義されています。

「大量生産の技術は、もともと暴力的なものであり、生態系を傷つけ、再生不可能な資源を浪費し、人間を無能にする。一方、民衆による生産は、近代の知識と経験のうち最善のものを生かし、脱中心化に寄与し、生態系の法則にのっとり、希少な資源を消費すること少なく、人を機械の奴隷にするかわりに、人に奉仕するように設計されたものである。そのような技術は、伝統的で素朴な技術よりはるかにすぐれており、一方多額の資金を要する高度技術よりは単純で安価で自由であるがゆえに、私はそれを中間技術と名付けた。」
 ここにおける定義では、近代科学技術のもたらした問題点を批判し、それらの問題を解決する代替案として中間技術を論じており、前者の途上国の開発における技術論とは大きく異なります。

シュマッハー以降の適正技術論の変遷

 それ以降も70年代を通じて、UNIDO、OECD、ILOなどさまざまな国際機関や公的機関がそれぞれの立場から、途上国への技術移転の問題を意識しながら適正技術を論じています。また、60年代後半から70年代にかけて公害や資源の枯渇、巨大技術と労働疎外など、近代科学技術がもたらすさまざまな問題が指摘されるようになると、それに対する代替的な技術を提案するというコンテクストで「代替技術」や「ソフトエネルギー」などが論じられるようになります。このような途上国における開発という側面からの適正技術と、近代技術に変わる代替技術という側面からの適正技術は、80年代の先進国では同一のものとして論じられるようになりました。

 80年代後半になると世界的な地球環境問題が注目を集めるようになります。今度は環境への負荷が少ないということを中核的関心としつつ「環境調和型技術」「地球にやさしい技術」等のことばが生み出され、それと入れ替わるように、「適正技術」ということばを前面に出して論ずる機会はしだいに少なくなっていきました。しかし、実質的にはそれらの新語も、それ以前に論じられてきた適正技術や代替技術の概念と重なり合う部分が少なくありません。

私どもの考える適正技術とは

 これまで述べてきたように、「適正技術」という言葉はそれぞれの論者により様々な意味合いで用いられていますが、ただひとついえることは「適正技術」に属する技術群とそれに属さない技術群があらかじめ決まっているわけではないということです。何がその場にふさわしい技術であるかは、その場の条件とニーズで当然異なるわけだから、例えば風車や水車といえばそれはいつでも適正技術ということにはなりません。逆に火力発電がかならず悪いかというとそれもいえません。ある場面の社会的経済的あるいは文化的条件やその場の必要性とセットになって、あるいは地球環境の全体性とのバランスのもとに、はじめてある技術が適正かどうかが評価されるだけなのです。また近代技術をきびしく批判する立場に立つと、選択する技術も伝統的で土着的なものに限定されざるを得ませんが、逆に近代技術にも一定の評価をする立場にたつと、技術選択の幅は広がる一方で近代技術の負の側面をいかにクリアするかという課題もかかえることになります。

 このように「適正技術」は使い方に注意を要する言葉になってしまったが、その場の条件と要請に適した技術が選ばれるべきだという、当たり前でありながら忘れられがちなことに注意を喚起していく点、また、近代技術の単純で無批判な導入とは異なる技術選択もあるのだ、ということをシンボリックに主張しやすい点に、このことばを使う意義はあると考えられます。適正技術研究所では、「それぞれの地域の社会的・経済的・文化的条件に適合的で、人々が広く参加でき、人々のニーズを的確に充たすととともに環境にも負担をかけない技術」というほどの意味で「適正技術」という言葉を使っています。具体的な技術の様相や選択は、その時代のそれぞれの地域の条件で異なりますが、いわゆる「先進国」にも「途上国」にも各々の適正技術が要請されるという立場です。もちろん、重要なことは適正技術を定義することではなくて、これからの社会に本当に必要とされる技術、望ましい技術はどのようなものあるかを考え、それらを創出し広めていくことであると考えます。

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